おれブログ
『坂本 龍一 逝く』
なんだ この衝撃は
特別 親しくしてたアーティストではないのに凄く大事な人を失ってしまった 衝撃たるや
今もって コトバにならない と云うか
こうして文にもならないことを羅列してるだけだ
なんとか 頭ゆらして文にしてみるか
70年代後半の音楽界にカルチャーショックを与えた『Y・M・O』の登場は、日本の音楽が、いよいよ世界水準をめざした瞬間だった
正確には、海外から先に火がついて、逆輸入で日本に来たのだが、つまり最初は
自国では知る人ぞ知る存在だったのだ
1978年に世界各国で
レコードがリリースされ、海外でのコンサートツアーも大成功した後、日本でも大ブームとなる
それまでの日本の音楽家は、世界に出向くとき、いわゆる日本式を取り入れ、海外に"媚びた"表現 が付き物だった
坂本龍一・細野晴臣・高橋幸宏の3人による『YMO』の時代から、日本人が海外でショーをやるときに「サムライ・芸者・ハラキリ」の表現に頼らなくて良くなったとも云われた
ある意味、日本人音楽の"歴史"を変えたのだ
ソロになった坂本龍一の音楽もまた素晴らしい
ピアノの音がクラシック音楽ではないからだ
自分だけの"音"をもってる稀有な天才なのである
数年前 放送局の主催による武道館での音楽イベントに参加したとき 坂本龍一&細野晴臣ユニットも参加していたので 大好きな細野さんに会いに行ったら 側に居た坂本龍一も 挨拶してくれた
あの にこやかな顏は忘れ難い
重いオーラを発せず才能をひけらかすことなく 爽やかなる会話が出来たことが その日を満足させた
素晴らしきアーティストとは その日を満足させてくれる人のことなのだ
「芸術は長く 人生は短い」
彼らしい表現だ
坂本龍一の記憶は長く長く続くのだろう
心よりの哀悼を
泉谷しげる