おれブログ
10月決戦の日々
このタイトル
ちょいとオーバーな表現かもだが、とにかく10月はライブ三昧なのだ
12日の宮城「栗原ミュージック フェスティバル2024」出場から始まり、14日は埼玉・越谷EASY GOINGS
19日青森QUARTER
20日盛岡Club Change WAVE
25日神戸VARIT.
26日松阪マクサ
と毎週末、全力ライブ大作戦(笑)
だからってキツキツの気分でやる気はなく、余裕こいて少しでも行った地域を散策する気マンマン
今回は、初めての宮城・栗原市をざっくり紹介しよう
とにかく、空が広い
東京では見れなくなったレトロな風景だらけで、いやぁ楽しめた
なにより食事が美味しかったな~カンジンの栗原フェスのライブは、ってぇ~と勿論大盛り上がりだった
次も次の場所も、全力でブチかましたるからな
任せなさい
泉谷しげる
ライジングサンの日
国内最大ロックフェスティバル『ライジングサン』に初出場したのだ
自分が出場したボヘミアンステージは、弾き語りを看板にしてたので、他のステージより小ぶり?だと思い込んで出演したら~
眼下にはトンでもない人数が広っていたではないか
気温も27度でサイコー
大きな空の下で、たらたら弾き語りする気などハナからなく、弾き叫んでやった!
この日に
よくたどり着けたもンだ
前日は、台風7号の影響により、関東地区は厳戒体制となり、翌日の北海道フライトに影響あるなコリャ…と危惧したとおり、その影響に巻き込まれてしまったンだよ~
それでなくとも、お盆休みで大混雑の羽田空港
そしてまさかの千歳空港内での刃物紛失?の件で、千歳空港再点検の都合により、羽田での飛行機搭乗が1時間半遅れとなったのだよ
ようやく
千歳空港に着いた~と思ったら、イベント会場への道のりが渋滞してるとかでバス移動を止め、タクシーで行くことに
この時点で午後4時からのライブステージに到底間に合わず、出場失格覚悟しつつ~出番の時間変更をお頼みするしかなかった
しかし、地元のタクシードライバーは、混雑をうまいこと避けてくれ2時間かかるところ1時間強で到着させてくれた
彼に大いに感謝した~かったが、会場に着いたとたんステージに走り、ソノままステージに登場!
(実際は、楽器セッティングもありて、着いて15分はあったかも。オーバーでスマぬ)
1時間も待たせたのに大観衆は暖かく迎えてくれたではないか
それでも遅れたことを詫び、返す刀で「最高齢なのでオマエらオレに気使えよー」と言い放ったが、誰も気使わなかった
(笑)
さすが北海道
気温27度は、カラダ快適となり
、声は出る出る ギターも鳴る鳴る
最高のライブ日となったぜぃ
初めての
ライジングサン
本当に国内最大規模のロックフェス~だと思ったのは、帰りのクルマで、走っても走ってもライジングサンの会場が続いたらからだが
毎年、この暑さ上がる一方なら、夏のロックフェスは「ライジングサン」だけになるのでは?
と思ってしまった
とにかく
泉谷しげるの「いちばん長い日」は無事終わった
泉谷しげる
ー能登半島で絶対ライブやってやるのだー
この7月で
半年たってしまったのか~
「能登半島地震起きてから半年」
をテレビのニュース番組等で見たが、今だ復興がたいして進んでない現状にイラッとしたな
しかも、能登を離れざる方々が増えてきてるとは・・・
1月1日に起きた能登半島地震には本当に驚いた
オレにとってはまさかの事態だったからだ
震災が起こる以前から、
実は今年(24年)の9月に、金沢市と珠洲市での「会館自主ライブ」が決まっていたからだが、まさかの能登地震により、珠洲市でのライブは消滅してしまった・・・と、思ってたら、3月ごろに"ラポルトすず"から「なんとかライブ出来るかも・・」の報せに喜んだのナンの
そして、さだまさし氏の誘いもあって4月に能登半島に見舞いに行けたことは、なによりの出来事だった
オレは40年以上前に、映画撮影のために能登半島に数週間滞在してたのだよ
あのときの地元の人らによる暖かいお世話は忘れられないのだ
そして能登半島が大好きになって、また絶対に来ると約束し「今度は歌いに来て」がようやく出来る!
……だったから能登半島地震はショックだったのだよ
4月のお見舞い訪問のとき、マイクを使って、「能登地震のバカヤロー!」は偽らざる気持ち
その場に集まってくれた地元の皆さんに「9月にライブやるので皆を無料招待するぜ」
と、約束してしまったのだ
発生から半年たって~
珠洲市を離れる人らが、さらに多くなるなら、9月には誰も来れない?の不安はあるかも
外からの応援だけでは、日常災害と格闘してる人びとの忙し時間には入り込めないだろう
オレは、ただ能登を応援したいのではないのだ
大好きな能登半島に、あのとき世話になった御礼を込め、恩返しをしたいのだ
だからどうしても能登半島にまた行くのだ
お前ら、待ってろよ
そして集まれ!
泉谷しげる
LlVE with LIFE
今年も
無事に、誕生日を迎えられたぜぇい
この年齢になるとだ
歳のことなんざ、無視出来るのだが、それでも多くの方々からお祝いを受けられるのはヤハリ嬉しいもんだな~
でも、まぁプレゼントに気使を使わせるのは苦(笑)
プレゼントよりもライブチケットを買ってくれたホウが~プレゼントになるな
ライブハウスと云う狭い空間でのライブを増やしてるので、SOLD OUTになること多く「チケット手に入らない、もっと大きなとこでやって」の声も
あり、すまないとは思う~
が、自分は“これくらいの人気“が気に入ってるのだ
(笑)
大きな会場だと製作費もかかり、入場料金も上がるしで余計な“金“の心配をしなきゃで~めんどくせー!
フェスや勢揃いコンサートで大会場に出ることあっても、今の自分ライブは、昨年伝えたようにコロナで酷い目にあったライブハウスを応援しよう~で全国展開してるのだ
ミュージシャンたちの道場でもある「ライブハウス」
ライブハウスでのライブは、皆さんの近所まで行けるし、見る機会増やして行けるので「ヒマがあったら寄ってみてください」
かな
若いときは
音楽も芸のうち~なンて思ってたもンだが、今やライブは芸ではなく「ライフ」なのだ
いい誕生日になってる
泉谷しげる
熱い夜をめざして
京都・磔磔50周年を祝いたく、今回(3/24)の泉谷しげる全力ライブ3時間は、歌とギター泉谷しげる×ドラム板谷達也×ベース渡邉裕美の3人 バンドで挑んだ
久しぶりの再結成にもかかわらず(再結成って…そもそも解散してない・笑)バンドの出来がすこぶる良くて~調子に乗ってしまったかも
数年前から、磔磔での泉谷ライブは恒例化し、年2回3時間ライブをやってしまうほど磔磔の音響はいつもサイコーなのだ
そして、磔磔のお客さんは、いつも本当に熱い
彼ら彼女らの嬉しそうな顔を見るだけでシアワセになる~
しかし‼
今回はやっちまったぁ〰(汗)
ステージ後半、酸欠にいたり、声が出にくくなって~倒れそうになったのだ
セットリストが多すぎたのと、満員の熱気が更に上がったことと、2部はデニムのシャツでやったことが原因で本当にバテてしまった
それでも、最後までヤレたことがナニよりだ
オレはシアワセもんだよ
演奏失敗しても具合悪くなってもウケてくれるのだから
だからってソレに甘えず、更に体力つけて熱い夜を目指すのだ
磔磔には今年、あと2回は出演することになった
嬉しい悲鳴である
とにかく今年は、全国各地でライブをイッパイするのだ
任せなさい
泉谷しげる
配信アーカイブは31日まで!